ゼネコン化した社会と学校の罪 日本の優秀な低賃金労働者

学校・家庭

われわれは終身雇用年功序列というフィクションの中で生きています。勤労者の区分けでは「勝ち組」になるわけです。そういう意味では、先生たちも勝ち組です。実社会に出たことのない「勝ち組」が、「これが素晴らしい教育だ」といって適当に教授法を考えて、学校内で「今日も素晴らしい実践でしたねえ」と褒め合うエコシステムができあがっているのです。

「学校スタンダード」と管理
「学校スタンダード」というものが問題になっています。これは、授業を受ける姿勢や廊下の歩き方、挨拶の仕方、細かい持ち物の規定、服装などを規定し、学校全体で統一しようというものです。先生たちは、授業の心構え、健やかな成長とかいろいろ言いますが、こうすれば管理しやすくなるという、いまだにつづく管理教育の変種です。

このルールを徹底して守らせ、はみ出させず、どんな仕事にも黙々と取り組ませ、自己肯定感を低める教育が、日本の低賃金な労働者の質の高さを担保していた面があります。

コンビニの店員さんは学校教育の最大の成果
例えば、コンビニの店員さん。コンビニの店員さんは、かなり激務です。レジ業務がメインですが、その合間にしなきゃいけない仕事が大量にあります。

これを最低賃金に近い給与でやらせてしまうというところに、やはり日本雇用の闇を見てしまいます。福祉業界や飲食業界なども同じ構造です。そして、学校はこういった勤勉な労働者を作ることに地道をあげてきました。

学校は勉強するところではなく(http://agora-web.jp/archives/1656759.html)、授業態度を身につけさせたり生活指導を徹底したりすることがメインです。理不尽なことがあっても受け入れる。どんなことがあってもやりぬく。みんな(主に学校側)に迷惑をかけない。声を上げない。こういったことを9年間以上かけて叩き込まれます。

その成果が、失われた20年とも30年とも言われる日本経済の賃金低下に、大きく貢献していると思われます。

また、日本の労働者は団結が苦手です。これも学校時代に、分断統治をして決して子供たちを団結させなかった大きな傷跡だと思います。団結して先生にはむかってきたら面倒ですから。そこはうまく連帯させないようにしむけています。

美辞麗句にまみれた閉鎖空間
学校の先生たちは、綺麗なことを口にします。インクルーシブだ、寛容がだいじだ、みんなちがってみんないいんだと。けれども、それは多様性のない閉じた世界の言葉です。

日本の学校教育は、特別支援教育を見ればわかりますが、発達障害児の対応も、隔離するか矯正するかしかないのが現状です。

閉じた世界ではどんなことが起きるかは、ソ連の社会がそうであったように、主観で暴走します。「開かれた学校」とスローガンは素敵ですが、学校の中はいまだ共産主義なのです。

主観に酔う人びと
自分たちはほんとうに子供たちのために心血を注いでいる。わたしたちはこれからの新し社会を生き抜いていく力を身につけさせてあげているんだ。

先生たちはこのことを主観的にはまったく疑っていません。

ここさいきんでは、勤勉な低賃金労働者が足りなくなってきてしまいました。そうなると移民です。その結果、その子弟がたくさん入学してきます。画一的な学校現場は大混乱です。

実社会のことは別世界
学校関係者は実社会のことにあまり関心がありません。自分たちがやった教育が素晴らしいとしか思っていません。このような無反省は、ふたたび教育現場での失敗は繰り返されるのではないでしょうか。

それはおまけみたいなものですが、勤勉で忠実な低賃金労働者を排出するという役割を終えた学校は、どこへ向かうのでしょうか。それでも、今日も変わらずにハイスペックな低賃金労働者を育てています。

ゼネコンとは何か
ゼネコン的な儲け方の限界を示しているのではないでしょうか。私たちは社会のあり方を考えなくてはなりません。一億総中流というマーケティングを継続するには。

そもそももともとのゼネコン業界に留まりません。テレビ局がほんもののゼネコン以上に下請を叩いていると聞きます。そのおかげで、制作現場に若者がいなくなったという報も聞きます。

建設現場では、ゼネコンが発注者に出す単価は高止まりしていますが、実際に現場で働く職人さんの手取りはまったく変わっていません。職人さんに聞いても「ゼネコンの奴らは業界全体のことなんも考えておらん」と恨み節です。

けれども、ゼネコンの社員が幸せかというと、そこから滑り落ちてしまう恐怖が常にあるので、けっして幸せではないようです。

このように、日本全体がゼネコン化することによって、一部の人間が潤っていたわけですが、いよいよ人手不足が深刻になってきました。

AIは就業ミスマッチを解消するか
AIだのロボットだの言いますが、給与が高すぎて置き換えならまだわかるのですが、給与が安すぎてなり手がいないのにAIに投資するお金なんてあるのでしょうか。

日本の会社、とくに大企業はゼネコン化(中抜き)することによって利益を上げるビジネスモデルを昭和から平成にかけておこなってきました。令和では改まるのでしょうか。いまさら改まっても遅い気もしますが。

それに、派遣会社も中抜きに余念がありません。

最高学府の大学の講師の方も同じような境遇みたいですね。

中抜き社会なのに総中流とか言っている(だって、「中」がないのですから)矛盾自体が少子化の最大の原因だと思われます。

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