学校でキャリア教育は可能なのだろうか

学校・家庭

いつものことですが、小学生の将来になりたい職業は、日本と米国であまりにちがうのは話題にのぼります。なぜ、このようなことになるのでしょう。これは日本の学校で、キャリアなんてなんにも教えていないことの現れだと思います。

キャリア形成を知らない先生たち
先生たちはもちろん経済活動をしたことがありません。新卒入社で勤めあげる人がほとんどです。本庁でもここまで多くはないのではないでしょうか。だから、どうやって就職活動をしたり、転職活動をしたりという経験がない人が9割以上になります。

残りの一割弱も、民間企業からの転職者が入ってきます。けれども、公務員試験は受けて転職したけれど、民間企業間の転職は経験したことがないので、終身雇用があんまり期待できない大多数の社会人(ほとんどの子どもたちの将来のすがた)がどうやってキャリアを形成していくかは、知る由もありません。

たとえば、教育委員会のキャリア教育担当課長みたいな人が、教員の研修で、講演するとき、「私は教員としてキャリアだけでなく、父親としてのキャリア、地域住民としてのキャリアがあります。みなさんもそういうキャリアに胸を張ってください」と言ってしまいがちです。なんだかキャリアという言葉がひじょうに雑に使われてしまっています。

やっぱりせめて一度くらいは自分の商品価値みたいなものを転職市場で査定された人じゃないと、キャリアうんぬんの発言をするのはむずかしいものだなあと感じます。

無責任な社会像をばらまく人たち
そんな先生たちでも、キャリアについて子どもたちにいろいろ教えなくてはなりません。「自分のやりたいことをはやく見つけなさい」くらいの無責任なことしか言えません。

アクティブラーニングなんかの新し目な取り組みも、文科省の人と教委の人と学校現場で社会が「こうだったらいいな」という希望的観測で政策が決まっています。

キャリア意識の欠如が「教育改革」を明後日のほうにむかわせて、けっきょく学校外で塾なんかに行けるお金もちの子ども(教員の子供含む)が得をするという、公教育の底が抜けてしまっています。

たまたま起きてしまっている悲劇のマッチング
さらに問題なのは、日本の学校、とくに初等教育と中等教育は、学問というか勉強を教えるのではなく、組織人としての身の処し方を教えています。日本の滅びかけている終身雇用・年功序列と完全にマッチングしてしまっています。教えている先生は無自覚なおnですが。

だから、小学校では道徳という教科がもっとも重視されるし、学力よりも態度を評価されるし、部活動で滅私奉公できる人間が理想像になってしまいます。

道徳は、保護者の中にも必要だと思っていたり、道徳の授業でわが子が感化されたりするのではないかと思っている人も多く、道徳が学校教育の要の位置から降りる日はきっと来ません。

会社化する学校
教育行政全体やそれに期待する社会の人々が、伝統的に「サラリーマンをつくる」ことに重きを置いてきてしまった以上、もう方向転換はむずかしいのです。もちろん公務員は前任者の政策は否定できません。

「生きる力」とは学校業界関係者は耳にタコができるほど聞きなれた言葉です。

学校の先生たちは日々子供たちに「生きる力」をどうやって身に着けさせるか、研鑽に余念がありません。

と言いたいところですが、まずその先生たちに「仕事を選ぶ力」を考えたことがありません。仕事は社会の要請や教委の言い訳のために、言われるがままに増えていく一方で、子どもたちはお客様です。さすがに子ども様とまでは言いませんが、そのうちそのように呼ばれることになるかもしれません。

ここで、組織を変革しようとか集団離職しよういう機運は一向に生まれません。

キャリア形成しなくて済む終身雇用
たしかに、先生の給与はけっして安くありません。そして、なにより雇用が保証されています。けれども、市場価値のないスキルを積み上げているだけで、自分でキャリアデザインなど考えたこともありません。

そういうひとたちが、妄想の中で「生きる力」を膨らませ、指導に当たっています。そして、日本の学校は、スキルや知識よりも、「場を乱さない」というマインドセットを身に着ける点に圧倒的にリソースを割いています。

役所のいうソサイエティ5.0(このネーミングは気持ち悪いです)の社会に放り込まれる子供たちにはたまったものではありません。

分析もできないまま
学校教育は、そもそも「知識」をいれるつもりがなかったのに、「いままでは知識偏重だった、これからはアクティブラーニングだ」などと言っているので、現状の分析すらままなっていないのです。

順位が下落して大騒ぎになっているPISAは、基礎学力がいまでも十分に高いレベルにあるように思えますが、調査方法をつまびらかにしていない以上、どうやって測ったかもあやしいものです。

このように、思いつきで多くのリソースを割いてきた日本の教育行政だけれども、その結果が、今の日本のプレゼンスでありましょう。日本経済の失速の主犯とまではいいませんが、主要な共犯者といってまちがいないです。

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