学校の「意思決定」をあらためて考える

学校・家庭

コロナ禍の学校では、児童・生徒がいないという状況は、学校とはなんぞやということをあらためて考えるよい機会になったかもしれません。学級経営という面から考えると、40人学級の対面が当たり前でなくなったということは大きいです。

儀式的行事、部活動、遠足や修学旅行といった催行、友人知人関係の構築、といった学校の機能として思い当たるものもすべてがなくなってしまいました。

では、学校とはどんな場か、教育とはそもそもなにをすべきなのか、実際問題として何が重要なのか、コロナ禍によって 学校教育のほんらいの目的があらためて問われました。

教師たちは、学校で物事を決めるとき、「子どものためになるか」という建前が全面印出てきます。しかし本音では、「責任を取らない」という意思があると思われます。とおい昔は、学校が決めたことに親御さんは唯々諾々と従ってくれていました。さいきんは学校が決めたことでも、親御さんからいろいろな意見が寄せられ、それは当たり前の光景になりました。

そういうとき、目的ははっきりしないけれど、学校が決めたと言えば、責任うやむやになるという前例踏襲として、逃げ切ろうとします。コロナ禍のような前例のない状況ですから、試行錯誤しながら進むしかないのですが、学校としてはどうしても「前例」や「横並び」によって責任回避をしようという発想につながってしまいます。

学校は、「もし不備を指摘されたらどうしよう」と考えるのではなく、どうすれば試行錯誤が許される組織になるでしょうか。これが学校の古くて新しい課題だと思います。

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