いい先生の条件が高すぎる!

学校・家庭

諸富祥彦先生はお会いしたことがあります。物腰は柔らかく、教師の立場もよく理解し、教育や心理の理論に通じているとてもよい先生です。

その諸富先生の近著に「いい教師の条件 いい先生、ダメな先生はここが違う」があります。

5章立てで、最初の4章は、「教師の何が大変なのか?」「学校空間の悩ましい『人間関係』」「追いつめられる子どもたち」「保護者と学校のより良い関係」ととても的確な分析をしていて、私のような元教師も勇気づけられます。

ところが、第5章「『できる教師』に必要な6つの資質」になると雲行きがあやしくなってきます。

教師は「魂でする仕事」と言い放ったあとで、「できる教師の資質」を6つ厳選しています。

1. リレーションづくりの能力
2. 人間関係のプロ
3. 対話型の授業ができること
4. 少数派の子どもに徹底的に寄り添うことができる
5. 教師であることの使命感と情熱(パッションとミッション)
6. 援助希求力(周囲の人に援助を求めることができる力)

私の頭にもたげてきた疑問は「これだけできる若い人が、教職に就こうとするだろうか・・・」です。もちろん、根っからの教員志望で、そういう方もいるとは思います。でも、これだけ人材に関して要求をしては、結婚相手に過大な要求をして結婚できない青い鳥症候群の人と同じことになりかねません。

学校の働き方改革がこれだけ取りざたされているのに、これではアクセルとブレーキを同時に踏めと言っていることになってしまいます。

私はぎゃくに、学校の教師の仕事を「だれにでもできる仕事」にしないと、学校問題は解決しないと感じています。平均的な「責任感と常識と学力」があれば務まる仕事にしないと、志望者は減るし、そんな人材はめったにいないし、現場は立ちいかないでしょう。現に立ちいかなくなっていると思います。

神戸市立東須磨小学校のように、学級崩壊していたようなクラスでも秩序を保てる「体育会系の教師」の発言力が増して、裏では「ふつうの教師」をいじめているという構造問題は改まりません。

それに、学校現場には昔ながらの「ダメな先生」の居場所はありません。多様性がなくなってきているとも言えます。校長の無理な提案に、「そんなことやって意味があるの?」などと言う「ダメな先生」はもういないのです。それが先生の心をさらに荒ませているのですが。

いや、私の心こそが荒んでいるのかもしれません。

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